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2025年4月6日日曜日

パウ吉アラスカ旅行終了

この冬頑張ってやっと定着してきた朝型生活が、3月後半になって崩れつつあったところに夏時間が始まり、たった1時間の時差なのにすっかりリズムが狂って朝が起きれなくなってしまった💦

トホホ〜・・・

近所の桜


毎日たっぷり寝て栄養もしっかり摂っているので、有難いことに体調は徐々に戻ってきた。

最近はこんな繰り返しばっかりで本当に疲れる😭


最近Hちゃんにもらってハマっているひじき

左胸も右手甲も腰もまだ痛いけど以前に比べれば随分と緩和して、くしゃみするのも怖くなくなった😅

だんだんと暖かくなってきて太陽の光を浴びる機会が増えたので、筋肉の緊張もほぐれメンタルにも良い。

これも一重に春の恩恵🌸


リスト・ウォーマーNAOが3組完成


めげずにスキーもジョギングも再開。

少しサボるとあっという間に筋力も体力も落ちてしまうから恐ろしい😱


あんなにあった毛糸も残りこれだけ


そして手元の毛糸も編み尽くしてしまったので編み物も一時休止。。。今は次のプロジェクトに思いを巡らせている。


* * *


いよいよ来週に帰国が迫ったパウ吉。


あれからもう2ヶ月も経つのかぁ〜


2ヶ月間のアラスカ生活は充実したものだったのかどうか、実際に会って話を聞いてみないことには何んとも言えないけど、私なりにパウ吉のアラスカ旅行をまとめてみた。


アメリカのスーパーと言えば


パウ吉が滞在していたのはアンカレッジの東に位置する太平洋側のフィヨルドの入江の街バルディーズ【VALDEZ】。


フェリー乗り場に向かう途中


その昔ゴールドラッシュでできたこの街は、今ではパイプラインから送られる原油を運び出すアメリカ最北の不凍港があり、夏は氷河観光の起点としてたくさんの観光客で賑わう。


アラスカサーモン・ディナー


1964年の地震で津波に襲われ、80年代の終わりにはオイルタンカーが座礁して原油が流出する事故があったことで覚えてる人もいるのでは。


2月はそこそこ積雪があった


冬の間アンカレッジからの交通手段は、空路か陸路(長距離路線バスなどはない)、または週1便のフェリー。


この山と海のコントラストは
アラスカならでは

実は私も1991年カナダ〜アラスカ旅行の際に、名前に覚えはなかったけどバルディーズに立ち寄り、そこから氷河クルーズに参加した写真が残っていた。


野生化した兎達(寒くないの〜😢)


バルディーズ周辺は大きなスキー場はなく、地元の子供達がスキーできる簡易的なリフト施設があるだけで、基本的には背後にそびえるチュガック山脈でのヘリスキー、キャットスキー(雪上車を使って上る)、バックカントリースキーが中心。

日が長くなってくる3月4月がハイシーズン。

この辺りはアメリカの中で最も降雪量のある地域なんだとか。


残念ながら天候不良で降りれず

パウ吉はそこにずっと滞在してパウダースキーのチャンスを伺っていた。

しかしこの冬はアラスカもヨーロッパと同じでまとまった雪があまり降らず、決して良いシーズンとは言えない。


殺伐としたオイルの街


そんな中現地に入って調査を重ね、地元の人とも何人か知り合いになり、数回一緒にバックカントリースキーに行くチャンスも得た。


果てしなく続くアラスカの道


アラスカのバックカントリースキーは、ごっつい四駆のピックアップ・トラックにスノーモービルを積んで何十キロも走り、そこから更にスノーモービルで道なき道を山の中へと入って行くと言うワイルド極まりないスタイル😵


アラスカン・パウダースノーも楽しめた


スノーノービルだって深い雪の中でそうは簡単に扱えるものではない。

途中で何かあってもレスキューヘリなんて飛んできてくれないし、ヨーロッパのスキー事情とは全く違う環境。

パウ吉のスキーセッションは全て人頼りなので待つ日々が続く。。。


夕焼け


ヘリスキーの会社ともコンタクトを取って、1度は他のグループの空き席に入れてもらってレクチャーを受け飛んだものの、強風でランディングできなかったと言うこともあった。


アラスカではスキーはお金のかかるスポーツ


ヘリスキーは1回のセッションでひとり頭1000ドルほどするので、参加している人はみんなリッチそうな人ばかり。

アラスカやアメリカ本土ではスキーは本当に贅沢な遊び。


スノーモービルで山奥へと入って行く


それからもずーっとチャンスを伺っていたけど、さほど雪も降らず、無情にもどんどん滞在時間は減っていく。

残すところ後1週間に迫っても毎日晴天が続き、モヤモヤと気は焦るばかり😰


どうやら今シーズンはハズレ年

最後の週にもう1回ヘリスキーのチャンスが回ってきた。

しかしこの時点で長い間雪が降っておらず、コンディションの良い場所を探して遠くまでヘリを飛ばさなくてはいけないのと、雪の状態が難しい上にかなりタフなルートになるので、パウ吉の細いスキーでは連れていけないと言われ、結局乗せてもらえなかった。

これでパウダーチャンスは消え、まことに残念な終わりを迎えた😭😭😭


まだまだ春は遠いアラスカ


パウ吉にとってアラスカでのヘリスキーは長年の夢で、今回の旅行でチャンスを活かせなかったことはかなりショックだったみたいで、しばらくの間落ち込んでいた。


凍てつく港


私もこの話を聞いた時は悔しくて一緒になって落ち込んだけど、パウ吉の方が立ち直りが早く、アラスカに来れたこと自体自分ではとても満足していると言っていた。

年々移り変わる気候や世界情勢の中で、以前とは様子が違っていることを目の当たりにし、それを受け入れ自分なりに消化して納得することにこの旅行の意味があったのではないかと私にはそう思えた。


同じ三日月


私自身もヘリスキーへの憧れはあるし、パウ吉にもぜひ極上のパウダースノーで滑ってきて欲しいと願う一方で、雪崩や事故の危険がつきもののヘリスキーは、内心ドキドキしていたので少しホッとした面もあったけど、当の本人はもっと緊張してその前夜は眠れなかったらしい。

今シーズンの不安定な雪のコンディションで出発間際に雪崩で友人を失ったことも、パウ吉をナーバスにさせる要因のひとつでもあった。


閑散とした冬のバルディーズ


こんなヘンテコリンな気候変動がなかったら、もっと山のコンディションも良かっただろうし、世界で紛争や物価高騰がなかったら、、、高揚する気持ちでパウダースキーを楽しめたかも知れない。。。

でもこれだけは自然相手のスポーツ『たられば』はないのだ。


地ビール


そして体力と気力を要するタフなスポーツには年齢的なタイムリミットがあるのも否めない。


バルディーズがらアンカレッジに移動

この旅行が終わったらパウ吉はパウダースキーヤーを引退するって公表してたけど(笑)


* * *


昨日そんなバルディーズを後にしたパウ吉は、そこで知り合いになったカンザス出身の人の車に便乗させてもらいアンカレッジの近くまで戻ってきた。


最後はサウナ付きのホテルでまったり

道中、アラスカの荒野の中を何マイルもつっ走って大自然と自由を満喫できたとも言っていた。

いよいよ帰国便は4日後。


ここアルプスには春が来た


この先地球に雪が降らなくなる日が来るかも知れないけど、たとえそんな日が来たとしても、お互いに心も体も健康でいれば大丈夫👍


いつも癒しをくれたラッコ君
ありがとう

私達が今まで共有してきたパウダースキーライフは消えないのだから。

帰ってきたらまた一緒に滑ろう!


とん


◉おまけ写真館◉

1991年アラスカ旅行







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